日本では、個々のオーダーメイドが中心で、欧州のオートクチュールのような概念がなかったために、ファッションブランドが育ちませんでした。日本にファッションブランドの概念が持ち込まれたのは、1960年代のアイビールックからです。
日本におけるファッションブランドとは?
ヨーロッパ特にパリを中心に1800年代半ばから、オートクチュールのブランド文化が華やいでいました。そして、1960年頃にはロンドンストリートから一気に大衆化して、プレタポルテの時代へと入りました。
その間、日本では、オーダーメイドが中心でしたので、ブランドという 明確な概念がないまま過ごしていたのです。日本でブランドという概念が注目されたのは、ロンドンストリートの影響もありましたが、それよりも大きな影響を与えたのは、アメリカからアイビーが入ってきたことです。
アイビーとは、アメリカ東部のフットボールリーグ「アイビーリーグ」を起源とする、アメリカ東部の大学生のトラッドスタイルのことです。このファッションは、アイビールックと呼ばれていました。
日本のファッションブランドの歴史
日本のファッションブランドの歴史について簡単にご説明します。
日本のブランドの先駆け
日本で最初にブランドが脚光を浴びたのは、1960年代の頃です。 アイビーブームが起こって、VANなどブランドという言葉が使われはじめると共に、ブランド、イコール高級だとか、おしゃれだとかいう感覚が持たれはじめたのです。
DCブームが到来
1980年代に入って、空前のDCブームが起こりました。DCのDとは デザイナーズの略、Cとはキャラクターの略です。この時から、日本のデザイナーによる服も、ブランドとして認知されるようになったのです。
コム・デ・ギャルソンなどのデザイナーズブランド、コムサデモードなど のキャラクターブランドが人気を博して、ブランド名入りのバッグを持つ ことがステータスとなりました。
ブランド崩壊の時代
その後、キャラクターブランドが乱立して、バブル崩壊以降は低価格のインポートブランドやスポーツメーカー品などが多数導入され、さらにSPAブ ランドが主流になるにつれて、日本のブランドは陳腐化しました。その結果、ブランドは単なる商品区別の記号となり、付加価値はほとんど失われてしまいました。
新たなブランド時代の到来
オートクチュールとファストファッションが2極分化する中で、世界的に中間的なプライスゾーンの企業が淘汰されました。その中で、日本だけは奇跡的に中間的なプライスゾーンの企業が生き残っています。規模的には中小メーカーが多いのですが、若者を中心にマイブランドとして支持されています。
また、本来はファストファッションに位置付けられていたユニクロやGUも独自に品質を高めてきたことと、世界的なデザイナーとコラボ企画を実施することで、旧世代のブラントとは異なる新たなブランドとして認知されるようになりました。
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